TAO Vol.7



「うぅ〜うぅ〜・・・」

 情けないことに今のこの状況に獣のような呻き声を上げて、噴出しそうな怒りと涙を必死に押さえ込んでいるところだ。

 手にはしわしわプラス情事の痕跡がばっちり残るシーツ。やっとの思いでベッドから剥ぎ取った戦利品がここにある。だが、問題はそこからだった。
 このシーツをどこにやったらいいのか、と手にもってハタと考え込んだ。
 とにかく侍女はいつもどこに持って行くのだろうか、と考える。自分達の洗濯物は自分で洗ったり、もしくは下女に持って行かせたりするが、まさか仮にも王族の洗濯物を下々の者と同じにして洗ったりはしないだろう。じゃあ王族用に他に洗っているところがあるのか、と考えてはみるものの何せこの城に来て日の浅いイリアには そんなもの見当もつかない。
 かと言ってこんなものイリア自らの手で洗うなど冗談じゃない。どのように使われたかなどを知ってしまっているのを、しかも他人のを洗うなんて。

(自分で自分の後始末くらいしろってのっ!)

 何でも他人に丸投げ。下々のものがやってくれるという頭があるからダメなんだ、とどこかの母親のようなことを心の中でぼやき、今はバスルームに消えて行ったジェイドにそのまま投げつけてやろうかとも思う。
 不敬罪でその後の自分の身は保障できないが。

「ちっくしょう〜・・・この色ボケ王子めが!いくら王族だって恥くらい知れっつーんだ!!」

えぇい、と自棄になってそのままシーツをベッドの上に投げつける。
 二進も三進もいかないこの状況にイリアの忍耐もついに切れてしまい、どうにでもなれと遂には放棄してしまった。叫んだ勢いでそのまま扉に向かってダッシュし、ジェイドの部屋を飛び出てイリアは一直線にある場所へと向かった。


 休みもなしに一気に走り切って辿り着いた場所。
 いつぞやは緊張してこの部屋に入った覚えがあるが、今はそんなもの欠片もなくあるのはただ怒りと混乱だけだ。冷静なイリアであったならしないであろう、ザイード・トリスの執務室に許可も無しに踏み込むなどという所業を成し得てしまったのはそのせいだろう。
 突如突進してきたイリアのその奮起して赤くなった顔をザイードとマイアは唖然として見ていた。

「俺は侍女の代わりですか?!」

 問い詰める順番が突飛過ぎて多少違っているが、その一言でザイードのマイアの両名はイリアがここに突進してきた理由を理解して「あぁ、そのことか」と力の抜けた声を出す。
 そのことか、などまるで始めからこう言ってくるのを知っていたような物言いをする2人にイリアは眉を顰めた。

「ま、まさか本気で将軍閣下も俺に王子の世話を兼任しろって言いませんよね?」

 もちろんこの部屋に駆け込んできたのはそのことを否定してもらうためだ。着任時にはそんな話をザイードはしていなかったのだから、きっとジェイドの我儘に違いないと思ったのだ。

「だからあの時はっきりと言うべきだったのです。今はどんなにぼろ糞に言われても仕方ないですよ」

 額に手を当てて厳しい顔でザイードの隣にいたマイアがそう突き放すように言うと、ザイードは途端眉尻を下げる。

「だってなぁ・・・俺だってこんなこと言いにくくて」
「仰るべきです。ここはズバっと」
「じゃあお前が言えよ!」
「嫌ですね。私はそんなこと部下に言い放つ非道にはなりたくありません」
「俺だって非道になりたくないっ!」
「将軍というのは時に非情な判断を下すことも必要なんですよ。知ってらっしゃいます?」

 軽蔑するようなマイアにザイードは「なんだと?!」と怒りだすが、そんなこと今のイリアにはもうどうでもよかった。つまりこの2人の応酬から察するに・・・

「やっぱり、俺、警護兼世話役なんですね・・・」

 悲壮感たっぷりにその信じがたい言葉を吐き出した。
 手は震え、恐らく顔は先ほどとは打って変わって真っ青だろう。
 イリアの願いも無残に打ち砕かれ、それどころかあっさりとジェイドの言葉を肯定された。しかも遠まわしに。言いづらい事を押し付けあう上司の言葉で悟ってしまうなんて。
 そんな真っ青なオーラを出すイリアに気付き、ザイードとマイアは思わず顔を見合わせてしまう。言いづらかったとはいえ半ば騙すようなことをしてしまったことには変わらない。罪悪感からかイリアを労わるようにザイードは声をかける。

「あ、いや、騙すつもりはなかったんだが・・・、その・・・」
「・・・他に侍女はいなかったんですか?」

 俯いたまま地を這うような低い声で質問を返す。
 悪かった、などの一言でこれは簡単に納得できることではない。

「王子は確かに侍女に手を出しまくってために侍女を付けなくなったと仰ってましたが、年配の侍女だっているでしょう?」
「そりゃもう女として賞味期限切れって感じの60才の侍女長をつけたさ。だがそれにも手を出しやがったんだ、あの王子は」
「え?」

 まさか流石に色狂いと言われているとは言え、まさか・ ・・

「ベテランの真面目一直線、男など爪の先にも興味はございませんって感じの侍女長に『女としての喜びを再び思い出させていただきました』なんて顔を赤らめて言われてみろよ。もうどうしようもねぇだろ」
「あれにも私は血の気が引きましたね」

 マイアも本当のことだ、と言うようにザイードの後に付け足す。

「な、なんて雑食・・・」
「だろ?!女だったら100の婆でも手を出すぞあいつは!だから女は近くに置けなくなったんだ。唯でさえ部屋に連れ込んでいるっつーのに侍女に下半身の世話までさせるわけいかねぇだろし」
「だから今度は男を世話役として置く事にしたのです。雑食とは言え流石に男には食指は動かないようでしたので」

 マイアが、顔を顰めて「ですが・・ ・」とさらに付け加える。

「男には今度は卑劣な罠をしかけて陥れるのですよ。お陰でこの城の人間は情けないことに誰も王子の世話をしたがりません。まぁ、王子はそれでいいかもしれませんがね、ですがお目付け役一人でもいないとどこまでも堕落していく一方ですので」
「だから何も知らない地方の詰め所にいた俺を引っ張り出してきて、警護と言いつつ世話までさせようという魂胆ですか?」
「人選に苦労しました」

 さもかなり骨が折れたのだよ、と言わんばかりに苦労話のように言うマイアに殺意を抱いた。

 何も知らない人間をこれでは騙したことと同じだ。

「冗談じゃありませんよ!」
「もちろん冗談ではないです」
「そんなことは着任初日に言うべきです!」
「初日に言わなくてはいけないという決まりがあるというわけではないでしょう。遅いか早いかの違いです」

 さっきはさっさと言うべきだとザイードを叱責したくせになんというダブルスタンダード。
 こちらの憤慨もやすやすと冷静に打って返される。マイアという男、副将軍の地位につく事だけあってイリアの1枚も2枚も上手を行き、相手の怒りも燃焼する前に水をかけて消すような言葉の返し方をする。それを苦笑いのように見守るザイードから察するに、恐らく毎回ザイードもこれにやられているに違いない。

 そう考えるとここでマイアと事を構えるのは得策ではないような気がしてきた。
 口ではきっと勝てないだろう。いや、実力でも副将軍相手では勝てはしないが。
 だが、ここで駄々を捏ねてもさらりとかわされて無駄打ちになりかねない。馬鹿みたいに無駄な行動を繰り返しても仕方がないのだ。相手 が冷静に返しているのにこちらが熱くなっては相手の思う壺。自分も冷静に対処しなくてはいけない。

「まぁまぁ」

 ここで苦笑いをして沈黙を守っていたザイードが入ってきた。口を挟むザイードを思い切り睨み付けたイリアの迫力に多少押され気味だったが、ここはやはり上司としての威厳を見せ付けた。

「俺はお前ならできると思って今回の任務にあたってもらった。何せあの鬼のバッティルウェインのしごきに耐えた奴だしな。俺も訓練の様子見たけど、あれはやべぇな。よく耐えたなお前」
「はぁ」

 鬼のバッティルウェイン。
 ついこの間までイリアの直属の上司だった人物の名前だ。
 ニーチェ地方の守りを任せられているのがゼル・バッティルウェインを隊長としたイリアが所属してい た12番部隊だった。その『鬼』の二つ名の通り、この12番部隊はもちろんのこと、この国の軍のほとんどの人から恐れられているのがこのバッティルウェインという男である。
 12番部隊に配属されたら泣いて他の仲間と別れを告げる。もしくはその配属を聞いた瞬間に軍から逃げ出す。無事に帰ってくることはまずないと言われているからである。
 鞭、或いは棍棒片手に兵士の訓練に挑むバッティルウェイン。その訓練は地獄そのものだったが、一兵士とあろうと思うものは耐えなければいけないものだと思っていたし、耐えるのが普通だと思っていたイリアにとっては凄いといわれてもしっくりとこないし、自慢も出来やしない。
 なにせ兵舎学校時代の訓練以外経験したことないのだ。これが実地に沿った演習なのだと思っていたし、第一小柄で体力も他の人より少ないイリアはついていくことに必至だった。余計なことを考えることもなく、盲目なまでに訓練に没頭していたのだ。
 たとえ罵声に止まらずあらゆる所から鞭に棍棒、槍に大刀、大砲が飛んでこようと。
 だが、そんな耐えた日々は己が兵士としての責務と思い己の誇りのためと思っていたためであって、今回のこととは全く持って話が違う。これは侍女がするべき仕事であって、自分が誇りをもってするべき仕事ではないのだ。

「俺は人の我儘に耐える訓練はしていないので・・・」
「けど忍耐力はあるということだろ?」

 屈託のない笑顔がイリアに返される。
 だからお前に出来ると信じているんだ、と言わんばかりの無邪気な笑顔にイリアは顔が引き攣った。何と安易な考え。そう口にしなかったのを自分で褒めてやりたい。

「今さらあなたがどう言っても私達はあなたを外すつもりは ありませんよ」

 冷たい、鋭いマイアの声が念を押す。
 いくら言っても無駄だと。

「あなたが軍人である限り上司である私達の言葉は絶対です。辞める事は許されません。もちろん私達も辞めさせる気などさらさらありませんが」
「つまり、俺が逃げれば命令違反となるわけですか」

 脅されている。
 軍という巨大な組織の力を使って脅されていることをイリアはこの身をもって感じた。

「ならこの城の連中にもそう言えばよかったじゃないですか」
「言いましたよ、もちろん。けれど王子直々にクビを申し渡されると我々はどうしようもないんですよ。ですからあなたがこの職務から解放される手っ取り早い方法は王子にクビを言い渡されることですよ。罠に嵌ったりなんかしてね」

 つまりこちらからクビには絶対しないから、自分から王子にクビにして貰えということなんだろう。
 確かに埒の明かないこの状況に強硬手段に出る気持ちも分からなくもないが、こんなの職権乱用もいいところ。本当ならもっと責めてもいいはずだ。
 けれどマイアは一応逃げ道を教えてくれている。だが、逆にそれに注意しろと警告も同時にしているのだ。

 はぁ、と溜息を吐く。もちろんわざとだ。

「わかりました。精一杯努力いたしましょう。世話役も罠に掛かるのも」

 少々マイアにいいように纏められた感もあるが。
 けれど自分はいつか辞めてやるという意味を含ませて最後の言葉をザイードとマイアに向かって言い放って、頭を下げて許しもないまま部屋を出て行った。きっと今イリアが2人に無礼を働いても クビにされることはないだろう。


□□□

「おい、罠に嵌ればいいとか言って大丈夫か?本当に嵌るために努力するかもしれないぞ?」

 何も声をかけることもなくイリアが去るのを黙って見ていたが、ザイードは不安になってしまった。先ほどの応酬でイリアがマイアの言葉を真に受けてしまうのではないかと危惧したのだ。
 だが、マイアは平然とした顔をザイードに返し、「大丈夫ですよ」と言い切った。

「根は真面目な分、与えられた仕事は何であれやるでしょう。しかもあのタイプは王子の罠に自ら飛び込めるほど器用じゃない。頭がいいのでそうそう王子にやられるとは思いませんしね」
「確かにお前にぶつかってくるくらい真っ直ぐだからな」
「ええ、流石はあのバッティルウェインが推すだけのことはあります。面白い素材ですね」


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