TAO Vol.5



「何だ!あの男はっ!!」

 枕を投げつけ、納まらぬ怒りを枕に込めて壁に投げつけた。

「落ち着けよ、イリア」
「聞くがスチュアル!お前は初対面の男に馬鹿にされたら頭にはこないのか?!」
「そりゃぁ、まぁねぇ・・・」

 頭には来るが、だがここで怒りを抑えてもらわねば部屋が壊れてしまう、と賛同はしたいがしかねると曖昧な笑いでそれを誤魔化す。
 スチュアル・ナイティアは今一度投げつけようとイリアが振り上げた枕をその手から奪い取って、代わりにその手にペンを持たせてやったらそのままイリアは鬱憤を晴らすかのようにへし折る。息を荒くして折れたペンを最後に床に投げつけて怒りを静めた。

「ご苦労様」
「どーも!」

 まだ荒い息を徐々に整えて、投げ出された ペンを律儀に拾っているスチュアルに「悪い」と謝ると彼は「構わない」と快く許してくれた。

 本当にご苦労なことだ。たった一人の男のためにここまで腹を立てなくてはいけないなんて。情けなさが心の中に生まれて、八つ当たりの犠牲になったスチュアルと、ついでにペンにも心の中でもう一度謝る。

 それにしてもスチュアルの律儀さは相変わらずで、兵舎学校時代からちっとも変わっていないことに少し安堵した。
 地方から赴任してきたイリアだが、この城に全く知り合いがいなかったわけではなく、数人の兵舎学校時代の仲間も着任している。スチュアルはその一人で特に仲がよかった。部屋に案内された時に再び顔を合わせることになったが、その時も容姿はさほどの変わりもなく不思議な安堵が零れたことを覚えている。
 部屋には新入りのイリアを含めて4人。その全員が近衛兵でそれぞれ重要な役所に着いていた。

「噂どおりとんでもない男だった」

 ベッドに乱暴に腰を下ろして不貞腐れてスチュアルに言い放つと、スチュアルは苦笑した。

「どんな噂かは大体想像つくけど、まぁ実際はそんなものさ。お前の場合は災難だったけど」
「・・・もう既に俺はこの仕事を止めたくなったぞ」

 この時点でイリアはあの色ボケ王子の護衛から任務を離れたいと強く願っていた。叶うのなら、王が許すなら一発殴ってやめたいところだが。

「守る価値あるのか?あの王子に」
「そりゃあもちろん王子様だからね」
「王位継承者ならレイド様が居られる。俺が言いたいのは人間的に守る価値があ るかどうかだ」
「・・・う〜ん、難しい質問だねぇ」

 ジェイドの人間としての価値云々を問うと、言葉を詰まらせた。スチュアルにもある程度のジェイドの悪い噂は耳に入っているし、実際何度も女性を部屋に連れ込んでいるのを目撃したことがあると言っていた。一下僕としての立場をとるか、それとも唯の人間になって答えるべきなのか、スチュアルの平和主義的主観からは何とも舌筆し難いと言ったところなんだろうか。

「俺は実際に王子に会って話した事がないから何とも言えないけども、長い目で見て上手く付き合っていく方法を見つけていったら?」
「お前、完璧人事だろう」
「そんなことない。一緒に考えよう」

 スチュアルも一緒にイリアの隣に座って、考えるような仕種をする。それが意外にも真面目な顔だったものだから笑えてきて、目を閉じながらあれこれ考えているスチュアルの鼻を悪戯につまむ。

「・・・あのぉ〜、イリアさん?俺一応お前のために懸命に考えているんだけども」

 横目にイリアを見て、つままれた鼻から手を振り落とすように顔を振ると、イリアは悪戯が成功したことを喜ぶように歯を剥き出しにして笑う。

「ま、気持ちだけ受け取っておくよ。お前の言うとおり長い目で見てやってもいいわけだし?」
「あれ?俺の好意ってば無駄打ちだった?」
「ちーがーう!とりあえず今いろいろ考えるより実際に王子と対峙して考えたほうがいいかと思って」
「ま、賢明かもな。噂だけで王子の人となりは判断できないから策の打ちようもないし」
「そういうこと」

 イリアは得意げにスチュアルの目の前でピースをしてみせる。その仕草の後、スチュアルがイリアの両頬を軽く引っ張るという一連の流れを兵舎学校時代によくしていたなと、途端に懐かしくなった。日常茶飯事だったスチュアルのイリアへのその接し方が変わらずそこにあるのだと思うと、嬉しくなる。


「それにしてもさ、そんなに怒るなんて王子にどんな酷いこと言われたんだ?」

 折角気持ちが浮上してきたのに、スチュアルがいらん事に蒸し返してきたものだから、また腸が煮えくり返る感じが襲ってきた。
 ムスっとしたふてぶてしい顔をしてスチュアルを見つめれば、そんなイリアの態度にスチュアルもすぐ合点がいったのか、「あぁ」と言葉を漏らした。

「いつものやつか」

 こんな顔をする時は大抵はイリアがその顔故に女に間違えられて、腹を立てた時だ。
 きっとジェイドともそれについての一悶着があったのだろう。

「毎度のことだろ?そんなに怒るなよ」
「毎度のことだから頭にくるんだよ」

 毎回毎回あんな事を言って回るのも疲れるし、屈辱なのだ。
 スチュアルにはもうネタレベルの話なのかもしれないが、本人にしてみれば初対面の人にはイリアという人間を知ってもらうためには必要なことだけに、嫌気がさしているというのも否めない。

「俺もさー・・・、お前みたいに生まれたかったよ」

 華奢なイリアとは違い、180cm以上もの身長と兵士らしいガッチリとした体躯をしているスチュアルが本当に羨ましいと思う。
 ガクリと首を項垂れて呟けば、スチュアルはイリアの頭を軽くポンポンと叩く
。  スチュアルなりの慰め方だ。イリアが落ち込んだ時や、怒りで震えている時に落ち着かせるためによくのの言葉なき慰めをしてくれた。それが変に言葉をかけられるよりイリアにとっては慰めになるのだから、不思議だ。

「まだ始まったばっかりだ。そんなに気負うな。真面目なのはいいけどどっかで適当に力抜いとかなきゃ、あの王子を相手するにはキツイぞ」
「うん」
「今日はもう寝ろ。明日からが本番だろ」
「・・・うん」


 明日からが本番。
 その現実を突き付けてくれた言葉が、ズシリとした岩になって心に乗ってくる。


 明日。また明日。
 どんな事が待っているのだろう。


 ベッドに転がり、目を閉じて静かにすぐ訪れる未来を思った。


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