TAO Vol.4



「で、あぁっと・・・何て名前だ?」

「イリア・アドネイルです」

 時間にして小1時間。
 女性が徐に扉を開けたことで王子の言う「終わり」が来たことを理解した。扉の開く音にはっとして見てしまったら女性としっかり目が合ってしまって、思い切り逸らしたら女性は妖艶に微笑みながら去っていった。それがまた恥ずかしくて俯いていると、部屋の扉が開きっぱなしなのに気が付いてそっと立ち上がり、中の様子を窺うように扉の影から顔を出すと、今度はベッドに横たわるジェイドと目が合ってしまい、手招きされた。

 その時に初めてしっかりと見ることが出来たその姿。
 心地のよい声の持ち主は、これまたとても綺麗なそれでいて何とも男くさい顔立ちをしていた。
 黒い髪に、漆黒の瞳。漆黒の瞳はよく王家の特徴として一番にあがるほどの象徴的なものだ。
 天は人に二物を与えない、とはいうがこれでは二物どころか与えすぎだ!と心の中で叫びながら も男を凝視する。
 情事の後特有の気だるさを隠そうもせずに開けだして、それが妙な婀娜っぽさを醸し出し、相手は男だというのに色っぽいと思ってしまった。程良くついた筋肉に、肌荒れなど生まれてこのかた知らぬと言いだしそうなほどの美肌。しかもローブ一枚を羽織ったままの格好で寝転がっているものだから捲れた裾の間から肌が見え隠れして何とも悩ましい。
 そんな姿で手招かれたら・・・なんか素直に近寄るのが憚られ、一歩一歩確認するように近づく。


「そこ、座れ」

 指差されたベッドの脇の椅子を見下ろして、ちょっとジェイドから椅子を遠ざけて座る。その間、目線はジェイドから離さないまま。
 間近で見るとその造形の美しさを更に再確認する。
 漆黒の少し長めの髪。美しい故に迫力を持つその顔。その迫力に負けそうになって警戒心を更に強めた。

 それなのに 、だ。
 第一声があれだったものだから、拍子抜けというか気落ちしてしまって、ここまで緊張していた自分が馬鹿みたいに思えた。
 これはもしかしたら気を張るだけ無駄な相手なのかもしれない。

「あの、ジェイド王子」
「ジェイド、だ」
「・・・・・王子」

 敢えて反発して「王子」と呼んだのに、ジェイドは「素直じゃねぇな」と笑い、ゆっくりと起き上がる。
 流れるような動きに目を奪われるようだ。

「さ、さっきの女の人のことですけど・・・」
「交ざりたかったか?」

 何と馬鹿なことを!この男に恥じらいというものは無いのか、とイリア心の中で憤慨しながらも自分の中で消えてしまいそうだった冷静さを何とかひっぱり出してくる。
 だが、目の前の男、仮にも王子だがそれでもここまで言われてしまうと殴りたくなる。
 好色、節操なし、と言われているのは重々承知はしているが 、ここまで礼儀知らずで恥知らずであったとは、と本人の目の前ではあるが頭を抱え込みたくなった。

「お、王子、いい加減にしてくださいっ」
「こいつは随分と初心なことだ」
「それは申し訳ありませんでしたっ!」

 初心で何が悪い!恥知らずよりは数倍もマシだ!
 顔を真っ赤にしてジェイドを睨み付けると、ジェイドも下から覗き込むようにしてイリアを見る。目が合いそうになったので、そっぽを向いたらまた笑われた。

「あぁ、そういや自己紹介がまだだったな」
「知っています」
「ま、そうだろうな」

 悪いが名前だけはなく、それ以上のことも知っている。
 顔をそっぽ向けながら目線だけジェイドに向けて、これからこんな男を守らなくてはいけないことを心中で嘆いた。

「・・ ・ところで」
「はい?」
 呼ばれたので振り向くと、そっと顔に手を掛けられた。
 手だけではなく目さえもジェイドに囚われた感覚がしてぞっとした。

「お前、イリア?・・・不安だな」
「何が、ですか?」

 落ちていく気がする。この身体もこの魂も。
 ゴクリと唾を飲み込んで、その感覚を遣り過ごすと途端に怖くなった。
 ジェイドの漆黒の瞳は常闇に引きずり込む。

「まったく、心外だ」
「え?」

 心外は申し訳ないがこちらのセリフだ。ジェイドにそう言われるほどの事をジェイドよりはしていない自負はある。

「俺は女に守られるほど弱くはないんだがな」

 くつくつと小馬鹿にするような笑いを浮かべるジェイドに、イリアはウンザリとした気持ちになった。

(またか・・・)

 一体何度目だろう。
 少々イリア自身も毎度のことに飽き飽きしている部分もあるのだが、でもこれは通過儀礼のようなものだとも思う。
 仕方が無いのだ。そう割り切ることで、何度もやってきたことではないか。
 ふぅ、と態とらしく深い溜息をつき、自分の顔に掛けられたジェイドの手首を力強く掴んだ。

「確かに自分は女のような顔ですし、体も華奢で兵士にはむかない身体つきだし、声も高めです」

 出来るだけ、いやそう務めなくても慣れのせいか自然と凄むような低い声が出てしまう。

「ですが、自分は男です」

 そして相手を威嚇するような、ついでに射殺してしまえるような睨みをあわせる。

 女だろお前とか、女みたいな顔してると言われるのは日常で、さもすればそんな容貌をしているのだから、1度くらい抱かせろなどと、腹立たしくもイリアを侮辱する言葉が投げかけられてきたここ数年。
 男だらけの軍の中ではそういう、性的な捌け口をイリアに求めて来る者、はたまたその予備軍はこうやって撃退してきた。

「だから女のように股を開けと言われても開きませんし、奉仕しろとか言われてもそんな気もなければ、実力行使に出た場合は遠慮なく噛み千切ります。それ以上のことなど言語道断。私は男ですから」

 掴んだジェイドの手を顔から跳ね除け、振り払う。
 これだけ事前に牽制しておけば、下手に揶揄することもしてこないし、この手のからかいはイリアにはNGなのだということを、大抵の人間はわかって引き下がってくれる。
 例えそれでも食い下がる強者がいても、イリアがこんな侮蔑でめそめそとするような柔な人間ではないことは分かるだろう。

 いつもこの台詞を言う時に思ってしまう。

(・・・舐めるなよ)

 イリアにだって兵としての矜恃はある。こんな顔をしているが。

「私は王子に心配されるほど弱くはないです。男ですから」

 イリアの皮肉にジェイドは眼を細め、口端を上げた。
 何もかもを引き摺り込むかのような、その漆黒の瞳を鈍く光らせながら。


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