TAO Vol.1

 骨肉の争いというのはまさに不毛だと、イリアは目の前に聳え立つ白い城を見上げてしんどく思う。

 争いごとは嫌いだなどと兵士にありまじき考えは不謹慎だとは思うが、剣を合わせて戦うだけが争いというわけでもなく、水面下で腹の探りあいをしながら互いに互いを睨み合い、正々堂々と剣を交えるよりも陰険で醜い争いだってある。

 だからこそ。

 今城門の前で立ち止まって、一歩踏み出せずにたじろいでしまう。
 まさか、自分がその渦中に今から飛び込むことになるだなんて、まったく思ってもいなかったから。
 ここに一歩踏み込んでしまえば自分も否応もなくその諍いに巻き込まれてしまうだろうと、重々承知しているからこそ立ち止まってしまった。
 踵を返してここを去ってしまえば身も心も削るようなことをしなくてもいい。そう思い返して片足を一歩後ろに戻しぐっと踏みとどまる。
 しかしその次にはしかも名誉ある任務にこれから挑むというのに自分の足はなんと意気地のない事かと、嘆きたくなってしまった。
 こういう時、ウジウジと悩んでしまう自分の性分が恨めしいと思った。
 怖気づくな、と心の中で何度も繰り返し決意を固めながらも深く息を吸い込んで吐き、

「よしっ」

 と、声に出して気合を入れれば、自ずと勇気は湧き出た。
 先ほどから不審な態度を取っているイリアを門番は睨め付け、明らかにイリアを不審者として認識し始めているのに気付いてしまい、イリアは焦って逃げた。
 気が付けば自分は門の中で。
 はたと自分の今いる場所に気付けば、意外とこう一歩を踏み出すのは簡単なのだと思えた。






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「イリア・アドネイルです」

 緊張して少し声が裏返ってしまったかもしれない。恥ずかしくて焦ってしまい、自分の失態に赤面した。赤くなって慌てるイリアにザイードはぷっと吹き出して笑うのを堪えているのでますます恥ずかしくて居たたまれない。
 折角憧れていた人物を目の前にしているというのに。

「将軍」

 肩を震わせ今だ堪えるザイードを部下で副将軍であるマイアは静かに咎める。

「悪い。あー、アドネイル君、まぁ緊張しないで楽にしてくれ」
「は、はい」
 まだ笑っている。呆れられてしまったのだろうか。自分よりも幾分か背の高いザイードを見上げながら、情けない気持ちでイリアはこの国の軍の最高司令官の執務室の机の前に立っていた。


 ザイード・トリス。
 イリアの目の前にいる暗いダークブルーの髪の持ち主は、恐れ多くもザゥ国の王国軍のトップの将軍たる人物だ。
 そして、その隣にはザイードの右腕である副将軍のマイア・カトリックスである。

 温和で豪快だと噂のザイードと相対して、冷徹・非常と評されるマイア。
 この短いやりとりの中でも、ザイードの部下の、しかもほぼ初対面のイリアの失敗を快活に笑うその姿に、噂通りの姿がみて取れる。
 マイアはというと、イリアが初対面ながらに尻込みしてしまうほどに声が冷静で、温かさを感じない。あと、とにかく眼が厳しく冷たい。右目は前髪に隠れてしまっているが、左目だけでもそれが伝わってきてしまうのだから。さらに目の周りを覆う底抜けに明るい金の髪がギャップを感じさせるのだが、それがまたその瞳の奥の仄暗さを助長させている。

 この雲の上のような2人を見たのは、入隊式の時のたった一度のみだったが、兵舎学校時代は、皆でこの2人の話をしたものだ。
 英雄譚から噂話、果ては自分たちの想像する2人の人物像。
 憧れは尽きることはなく、今でも尊敬する人物はと聞かれたら間違いなくこの2人をあげるであろう。
 それなのに、自分みたいな下っ端がこんな大それた人たちと空気を共にしていていいのだろうか、とイリアは今までではあり得なかった現実に驚愕した。

「今回、君はこの城に着任したわけだが」
「はい」
「まぁ、名誉ある栄転だな。おめでとう」
「ありがとうございます」

 栄転、と言われてもしっくりはこない。今だ実感が沸かず、ふわふわと浮いているような感じがして心許ないのだ。
 今まで自分がいたのは地方の詰め所で、何故自分が今回の移動に選ばれたのか未だに疑問が残るところなのだが、つまりのところそれは偶然だったのだろう。特に豪腕なわけでもない、ただの一介の兵士の自分がここに移動した理由としてはそれしか見当たらない。

「しっかしなぁ。お前も大変だなぁ」

 ザイードがキリリとした顔を崩して突然ぼやくように言って、同時に溜息まで出した。
 それがあまりにも深い溜息だったからか、何事かと焦ってしまう。しかも今ザイードは自分を指して「大変だ」と言ったのだ。

「着任早々近衛兵か。普通なら喜ぶところなんだろうがな」
「はい」

 近衛兵は兵士ならば誰でも一度は憧れる。王族の警護は何よりも栄誉ある職であり、何よりもその責任が付き纏う。
 イリアには荷が重いと何度も思ったのだが、前任の詰め所の仲間は自分の出世を心から喜んでくれた。それはもう重いなどと思ってしまったことなど口に出せぬくらいに。
 どちらにしろ踏み込んでしまったからには、自分の全力で任務に当たるだけだと思うのだが、先ほどからザイードの口からは溜息しかでてこない。隣にいるマイアも何とも言えない微妙な表情を作っていて。

「・・・あの、何か問題でも?」
「いや、そうでもないんだが・・・」

 歯切れの悪い返事を返されてしまい何とも釈然とせず怪訝に顔を顰めると、ザイードは誤魔化すように微笑み、マイアはゴホンと業とらしい咳をして目で何某かをザイードに目で訴えかけているも、肝心のザイードはそれを無視し続けている。
 何のだろう、この図式は。この2人に流れる不穏な雰囲気を読み取りイリアは「あの」とザイードに近寄るも、

「頑張れよ」
 そう言って、有耶無耶にされてしまった。

「ありがとうございます」

 気には掛かるが、ザイードが口に出さないということはそれほど大事のことではないのだろう。

 上司の意を汲んでやるのも部下の務めだ 、とイリアは敢えて追及せずに頭を下げた。



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